理事長のつぶやき NO6
何年振りかで国文学を学んでいた後輩にお会いした。理事長のつぶやきについて意見を伺ってみました。つぶやきというのはせいぜい2.3行。つぶやきにしては長すぎるといわれました。確かにつぶやきはボソッと発するもの。こんな長い文章ではつぶやかないね。タイトル変えましょうか? でも私にとってつぶやくがぴったりくるんです。
本当は、もっともっと世の中に知ってほしいこと、精神障害の方たちが病と闘いながら地域で生活している様を知ってほしくてつぶやきを始めました。
あまりにつぶやきたいことが多すぎて、自分でも戸惑っておりますがもう少しお付き合いください。いずれ整理されるのではないかとどこか他力本願な私です。
74歳の私は、いまだ未完成で日々新たな発見の中で少しづつ自分になっていく気がします。そんな私の生き方が、世の中と折り合いをつけながら自分にならんとしている障害者の方々と重なるのです。精神保健福祉士として地域で生活する障害者の方たちと接してきてずっとモヤモヤしていることがあります。それは、一人の人間の病の部分は、医療で治療を受けます。その一方でその方が退院すると、病が完全に消失していなくても地域で生活することになるその方とのどこに医療と生活の境目があるのでしょうか? 40兆ある人の細胞の半分は医療、半分は地域生活者なんてわけはないでしょう。医療と生活の両方が一人の人にとってつながれる方法はないのでしょうか?
そんなことを一人悶々としながら、きょろきょろとアンテナを張ってきました。ささやかな吸引力ではありますが。そんな時にある出版社のDMが届きました。
「生活臨床の探求」”どう治すか”から”どう生きるか”の支援へというタイトルがつけられていました。いやぁ、医療の立場で同じような発想の先生がいらしたのかとうれしくなりました。早速購入し、真の連携の糸口を探してみましょう。なんだかワクワクします。
文化人類学者のティム・インゴルドは、知識に劣らず知恵が必要であると説きます。
「知恵は、世界の中に飛び込んで、そこで起きてることに晒される危険をおかすことから開かれてくるものです。知恵は、注意を払ったり気に掛けるために他者を目の前に連れてくるように、知識からなる世界をぐらつかせるのです。」
皆様、勇気をもって知恵の世界に飛び込みましょう。生活から生み出されるのは、知識ではなく知恵なのです。
私の頭の中には、様々なことが点となってちりばめられております。その点をつないでいく一つの媒体が知識なのでしょうか?
また、長いつぶやきになってしまいました。未完成な私の点をつぶやくことによって少しづつつなげていくことを私は目指しているのです。
まずは、「生活臨床の探求」と「生活の知恵」をつないでみましょうか?
